英雄ナポレオンが愛したワイン8選+番外編 


「ワインなくば兵士なし」これはナポレオンが残した言葉です。

ワインが兵士の士気を上げ、時には戦いの残酷さや戦友の死を忘れさせてくれたためにこの言葉を残したのかもしれません。

本記事ではナポレオンにとってゆかりのあるワインについて解説しています。

調査した中でナポレオンが飲んだであろうワインになるべく近いものを紹介していますので、ぜひご覧になってください。

1、シャンベルタン(Chambertin)

ナポレオンが特に愛飲したのは、ブルゴーニュ地方の一大銘醸地であるコート・ド・ニュイ地区のジュヴレ・シャンベルタン村の特級畑で収穫された葡萄(ピノ・ノワール)を使って作られた「シャンベルタン」の赤ワインでした。

ナポレオンが愛したという歴史的な背景と併せて「ブルゴーニュの王」、「王のワイン」と呼ばれ、現在も世界中のワイン愛好家から愛されています。

当時、ボルドーのワインは「女性的」、ブルゴーニュのワインは「男性的」というイメージが定着していました。

ブルゴーニュワインは単一品種の葡萄でワインを作るのに対し、ボルドーワインは複数品種の葡萄を混ぜ合わせて作られる事、風味や色合いなどからそう思われていたのかもしれません。

特にブルゴーニュの中で最も男性的といわれている、いわゆる「男の中の男」と言えるワインがナポレオンが愛飲していた「シャンベルタン」でした。

トゥーロン攻囲戦でもマルグレイブ要塞と相対する兵士たちに人気の無い砲台の一つにナポレオンが一計を案じ「恐れを知らぬ男たち」という名前を付けて志願者が殺到したというエピソードがありましたが、当時の軍人にとって「男の中の男」という称号は憧れのものだったのだと考えられます。

そのためナポレオンがワーテルローの戦いに敗北してセントヘレナ島に幽閉された時、フランス産のワインは物流的にセントヘレナ島にはボルドー産のワインしか届かず、ナポレオンは「余がシャンベルタンを愛飲するのを承知しながら、ボルドー産のワインを飲ませるとは・・・」と激怒したと言われています。

ナポレオンがロシア遠征にまでシャンベルタンを運ばせ、懐で温めて飲んでいたというエピソードも残っているほどこのワインを溺愛したため、その名声は不動のものとなりました。

ナポレオンは戦いの前には必ずシャンベルタンを飲んでいました。

しかし、唯一ワーテルローの戦いの時のみ戦いの前にシャンベルタンを飲まなかったというエピソードがあります。

そのため、ワーテルローで敗北したのはシャンベルタンを飲まなかったからではないかとも言われています。

そういう意味でも「勝利のワイン」と呼べるでしょう。

ぜひあなたも「勝利のワイン」を堪能してみてください。

◎シャンベルタン(Chambertin)

ナポレオンは、この特級畑「シャンベルタン」で収穫された葡萄を使用して作られたワインを実際に飲んでいました。

そういう歴史的背景やブランドがあるため、非常に高価なワインです。


◎シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ(Chambertin Clos de Beze)

特級畑「シャンベルタン」の隣の特級畑「クロ・ド・べーズ」で収穫された葡萄を使用して作られたワインです。

決して安くはないですが、手の届く範囲で雰囲気を味わうなら「クロ・ド・ベーズ」がおすすめです。


2、モエ・エ・シャンドン(Moët & Chandon)

ナポレオンはモエ・エ・シャンドンの3代目ジャン・レミー・モエとは将校時代からの友人だったことから、戦地へ赴く際にモエの邸宅に立ち寄り、シャンパーニュ(モエ・エ・シャンドン)の木箱を積んだと言われています。

唯一の例外は、ナポレオンがワーテルローでウェリントンと対峙するために急いで赴かなければならなかったときだったと言われています。

つまりナポレオンはワーテルローに赴く前にシャンパーニュ(モエ・エ・シャンドン)を積まず、ワーテルローの戦いの前にシャンベルタンを飲んでいなかったということですね。

ワーテルローで負けたことを考えると、ナポレオンにとってワインがどれほど大切かがわかります。

「シャンパーニュは私にとって必要だ。戦いに勝った時には飲む価値があり、戦いに負けた時には飲む必要がある」というのはナポレオンの言葉です。このような言葉が残されているところを見ると、戦いの後に飲むワインという印象を受けます。

戦いの前のシャンベルタン、戦いの後のシャンパーニュ(モエ・エ・シャンドン)ですね。

「アウステルリッツの戦い」や「イエナ・アウエルシュタットの戦い」、「ヴァグラムの戦い」などの後には勝利後の美酒として、「アスペルン・エスリンクの戦い」や「ライプツィヒの戦い」などの後には敗北を癒す気付け薬として飲んだのかもしれません。

「ワーテルローの戦い」の時にはシャンパーニュ(モエ・エ・シャンドン)は積んでいなかったということなので、敗北後の癒しさえ無かったというのは悲しいですね。

例えば、恋が成就(勝利)したことを祝って。はたまた、失恋(敗北)を癒すために「シャンパーニュ(モエ・エ・シャンドン)」を飲むというのもいいかもしれません。


3、ジャクソン(Jacquesson)

ジャクソンもモエ・エ・シャンドンと同じくシャンパーニュ(日本だとシャンパンの方が馴染み深いかもしれません)です。

ジャクソンの創業は1789年であり、フランス革命が起こった年でした。

モエ・エ・シャンドンのあるエペルネーからマルヌ川を挟んだ向こう側のディジーにあるワイナリーです。

ナポレオンはルーヴル宮殿でハプスブルグ家の皇女マリー・ルイーズと結婚式を執り行いましたが、その時にジャクソンをゲストに振る舞ったと言われています。

皇帝ナポレオンからその栄誉を賞しメダイユ・ドール(金メダル)を授けられました。

今もメダイユ・ドールはジャクソンのメゾンの紋章としてナポレオンのシンボルである鷹や王冠とともに掲げられています。

戦いの時に飲むシャンパーニュはモエ・エ・シャンドン、式典の時に飲むシャンパーニュはジャクソンだったのかもしれません。

何か祝い事の時にジャクソンで祝うのもいいかもしれません。

4、ヴァン・ド・コンスタンス(Vin de Constance)

ワーテルローの戦いに敗北したナポレオンはイギリスに身柄が引き渡され南アフリカのアンゴラの西の大西洋上に位置するセントヘレナ島に幽閉されました。

セントヘレナ島では物流上の理由でシャンベルタンを飲むことができず、フランス産ワインはボルドー産のみという状況でした。

ナポレオンにとって「女性的」と言われるボルドー産を飲むことは屈辱でした。そのため、ボルドー産ではないほかのワインを探し、愛飲したのが白ワインのヴァン・ド・コンスタンスでした。

幽閉された1815年から1821年に亡くなるまで、毎年1,126リットル(297ガロン)ものヴァン・ド・コンスタンスを購入し、セントヘレナでのナポレオンの家であるロングウッドハウスに木製の樽で運び込んでいました。死に際には、飲食そのものを拒否していましたが、このヴァン・ド・コンスタンスとセントヘレナ島産のコーヒーだけは飲んでいたと言われています。

シャンベルタンの次にナポレオンが愛飲したワイン。それがヴァン・ド・コンスタンスです。

ヴァン・ド・コンスタンスはデザートワインと言われるほどの甘口ワインです。

ナポレオンが甘口ワインであるヴァン・ド・コンスタンスを好んだ背景には、ナポレオンの病状と何か関係があるのかもしれませんね。

5、クルボアジェ(Courvoisier)

クルボアジェはワインではなくコニャック(ブランデーの一種)ですが、「焼きワイン」ということで愛飲リストに入れさせていただきました。

1811年、ナポレオンがパリ郊外に位置するベルシーにある倉庫を訪れた時、クルボアジェのコニャックを試飲した後、兵士の士気を上げるための配給品として選びました。

その際、次のような言葉を残したと伝えられています。

「兵士たちが侵攻を遂げる間、夕方にはワイン、朝にはコニャックを楽しめるよう、諸君たちの部隊にできるだけ多くの酒を支給する。」

実際に砲兵部隊がコニャックの配給を受けられるよう指示したという記録が残っています。

そしてナポレオンがセントヘレナ島に移送されたとき、1種類のみ許された贅沢品としてクルボアジェのコニャックが入った樽をいくつか持参したのですが、67日間の航海の間「HMS Northumberland 」に乗船していたイギリス海軍の将校がこれを振る舞われて「さすがナポレオンのブランデーだ!」と称賛し、それ以降、将校たちの間で「ナポレオンのブランデー」と呼ばれるようになったというエピソードがあります。

さらにナポレオン1世の弟の子(甥)でありフランス皇帝となったナポレオン3世は、1869年にクルボアジェに対して「王室御用達(Fournisseur de la Cour Impériale)」の名誉ある称号を授けました。

ナポレオンがセントヘレナに持参するほど愛飲し、2人の皇帝ナポレオンから支持されたため、「皇帝のコニャック」と呼ばれています。

ナポレオンが持ち込む贅沢品は戦場で愛飲していたシャンベルタンを選ぶと思っていましたが、ナポレオンにとって待望の世継ぎが生まれた1811年に出会ったクルボアジェのコニャックを選んだことはセントヘレナ島に流されても子であるナポレオン2世のことを思っていたからかもしれません。

ナポレオンが「ポーランドの妻」と呼んだマリア・ヴァレフスカも1810年にナポレオンの子であるアレクサンドル・ヴァレフスカを産んでおり、ナポレオンに会うためにエルバ島にも連れて行っているため、もしかしたら、アレクサンドルとナポレオン2世両方のことを思っていたのかもしれませんね。

ナポレオンがセントヘレナ島で子であるアレクサンドルとナポレオン2世のことを考えながらクルボアジェのコニャックを飲んでいる姿を想像するとグッとくるものがあります。

5、シャトー・ド・ポマール(Château de Pommard)

ナポレオンはポマール城を休養地の1つに選び、主に中庭を見下ろす城の1階にある青い部屋で過ごしていたと言われています。

そんなポマール城の隣にあるワイナリーがシャトー・ド・ポマールでした。

シャトー・ド・ポマールを戦場に持って行ったという話は聞かないので、主にポマール城での休養時に楽しんでいたワインなのではないかなと思います。

戦ばかりのナポレオンでしたが、休養を取るときもあります。そんなナポレオンにとってポマール城での休養は、戦争を忘れ地ワインとともに楽しむものだったのかもしれません。

6、アレアティコ(Aleatico)

1814年、ナポレオンがエルバ島の君主として追放された際には、エルバ島産のアレアティコという土着品種から造られたワインを愛飲していたと言われています。

ナポレオンはエルバ島上陸するとすぐに市街を見下ろせる絶壁の上にムリーニ宮殿、内陸部には別荘であるサンマルティーノを建て、道路を整備し、農業を振興し、病院を建築しました。

恐らく、上陸時から既に脱出することを考えていたのでしょう。

299日間の短い期間でしたが、ナポレオンは確かにエルバ島で生活していたのです。

エルバ島で地図を見て脱出計画を練っているナポレオンのことをアレアティコを飲みながら想像するのもいいかもしれません。

7、アルジプラトゥ

コルシカ島はナポレオン生誕の地として有名ですが、そのコルシカ島で最も歴史あるワインがシャッカレロという品種の葡萄を主原料として作られたアルジプラトゥです。

1789年、フランス革命が勃発しフランス国内の情勢は混乱を極めました。コルシカ民族主義者だった当時のナポレオンは革命にはほぼ無関心であり、よくコルシカ島へと長期帰郷していました。

そして1792年、コルシカ島のアジャクシオの国民衛兵隊中佐に選ばれましたが、親仏派だったボナパルト家はコルシカ島の独立派によって弾劾されコルシカ島から追放されてしまいました。

それ以降、コルシカ島民から見るとボナパルト家は裏切り者となるため、帰郷していません。

1789年~1792年の3年間の内にナポレオンがコルシカ島の実家で生活する中でシャッカレロで造られたワインを飲んでいたのではないかと考えられます。

実際に飲んだという記述は見つけることができませんでしたが愛飲リストに入れさせていただきました。

8、シャトー・レオヴィル・ラスカーズ

ナポレオンが「余がシャンベルタンを愛飲するのを承知しながら、ボルドー産のワインを飲ませるとは・・・」と言って激怒したワインがシャトー・レオヴィル・ラスカーズと言われています。

そのためナポレオンが愛飲したというわけではありませんが、セントヘレナ島でナポレオンが飲んでいたワインの1つですので愛飲リストの最後に入れさせていただきました。

ナポレオンがセントヘレナ島に幽閉することになったときに秘書官として随行し、セントヘレナ島でのナポレオンの生活を綴った、かの有名な「セント=ヘレナ覚書」の著者であるラスカーズ伯爵は、ワイナリーを所有していました。

それがシャトー・レオヴィル・ラスカーズです。

シャトー・レオヴィル・ラスカーズはボルドー産のワインであり、「女性的」なイメージが定着していたことから軍人であるナポレオンは嫌煙したと言われています。

当時はワインを現代でいう清涼飲料水のように飲む習慣があったことから、ヴァン・ド・コンスタンスが飲めないときはシャトー・レオヴィル・ラスカーズを飲んでいたようです。

ナポレオンの飲み方

ナポレオンはワインを同量の水で割って飲んでいたと言われています。

そして水で割ったシャンパーニュを「レモネード」と呼んでいたとのことです。

恐らくナポレオンが「レモネードをくれ」と言うと部下がシャンパーニュを水で割って持ってきてくれたのでしょう。

当時は清涼飲料水が無く、水もそれほど信頼性のおける飲み物では無かったため沸騰させてお茶やコーヒーとして飲んでおり、喉を潤すために葡萄のしぼり汁などの果汁を飲んだり、ワインやリンゴ酒などを水で割って飲んでいました。

過酷な軍隊では酒が好まれたため、飲料水としてワインやブランデーが支給されていたのだと思います。

現代では考えられない飲み方ですが、それが当時の普通です。

もしナポレオンと同じワインを味わいたいなら、同量の水で割って飲んでみることをおすすめします。

そしてロシア遠征時のナポレオンのことを考えて飲みたいなら、雪の中、懐で温めたシャンベルタンを同量の水で割って飲んでみるといいでしょう。

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番外編:下町のナポレオン いいちこ

日本のお酒でナポレオンと言えば「いいちこ」は外せません。

いいちこは、大分県の酒造メーカーである三和酒類が1979年から発売している麦焼酎の銘柄で、海外でも約30の国と地域で販売されています。

ナポレオンとの関連性は「下町のナポレオン」という愛称のみ。

「下町のナポレオン」は高級ブランデーであるナポレオンに匹敵する美味しさを庶民的な感覚で楽しめるという意味です。

その高級ブランデーとは恐らく「クルボアジェ」のことでは無く、ブランデーの等級であるナポレオンクラスの事だと思われます。

個人的には「クルボアジェ」であることを願っています。

実は「いいちこ」は海外でも評価が高く、2016年のインターナショナル・ワイン・アンド・スピリッツ・コンペティション(IWSC)では「いいちこスペシャル」が最優秀賞にあたる「トロフィー」を受賞。

米国最大の出品数を誇る「サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション 2018」でも、「いいちこスペシャル」が「DOUBLE GOLD MEDAL」と「BEST SHOCU」をダブル受賞。

アメリカの蒸留酒コンペティション「アルティメット スピリッツ チャレンジ」では、限定商品の「iichiko RESERVE 禅和 2018」が最高賞を獲得しています。

日本が誇る「下町のナポレオン」。ぜひ味わってみてください。意外とうまいです。

◎下町のナポレオン いいちこ


◎いいちこスペシャル