ナポレオンとともにあったセーブル磁器3選 

本記事ではナポレオンと関係性の深いセーブル磁器を紹介しています。

ナポレオンと「幻の陶磁器」と呼ばれるセーブル磁器のエピソードを知りたい方はぜひご覧ください。

ナポレオンとセーブル製陶所の関わり

※フランス革命においてルイ16世とマリー・アントワネットが捕らえられた戦いが描かれた『テュイルリー宮殿の襲撃』 ジャン・デュプレイシー=ベルトー(Jean Duplessis-Bertaux)画

出典:Wikipedia


1789年7月に始まったフランス革命の一連の騒乱により、富と権威の象徴の1つと見られていた王立セーブル製陶所は、略奪と破壊の憂き目に合い操業停止にまで追い込まれました。

セーブル製陶所で働いていた従業員は再建活動を始めますが、それは細々とであり、国王に保護されていた時代のような勢いはありませんでした。

1800年、前年末に第一統領となったナポレオンはセーブル磁器の国際的な舞台でも通用する技術と芸術性に着目し、王立セーブル製陶所を国有化して再建を行いました。

これ以降、国立セーブル製陶所は再び世界の高貴な人々や執政政府に向けて製作を始めることとなりました。

国立セーブル製陶所で作成された作品の多くは外交上の贈り物として使用されました。

1804年、終身統領 ナポレオン・ボナパルトは、国民投票によって皇帝に即位し、ナポレオン1世となりました。

これ以降、ナポレオンの影響を強く受けた帝政様式(アンピール様式)が徐々にヨーロッパ中に広まり、セーブル磁器は間近でその影響を強く受けることになりました。

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出典:ナポレオン財団オンラインカタログ

1、ナポレオンが大切にした「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」

※『マリー・ルージュ(Marly Rouge)』食器セットのプレート

ナポレオンは富と権威の象徴の1つとしてセーブル磁器を好んで使用していました。

外交の場での食事の時や贈り物の時に使用される場合が多かったのですが、宮殿の調度品としてはもちろんのこと、ナポレオン自身が使用する食器や家具に嵌め込むプレートなども製作させていました。

その中でもナポレオンは「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」という名の食器セットをとても大切にしたと言われています。

それは256点で構成されており、金彩と朱色、そして蝶の絵柄が特徴的な食器セットでした。

1814年にナポレオンがエルバ島に追放される際、この食器セットを自ら選んで持っていったというエピソードが残されています。

これは単に芸術性が素晴らしいというだけでは無く、思い入れの深い食器セットだったからだと考えられます。

「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットが初めて使用された年に、ナポレオンにとって2人の大切な人との別れがあったのです。

「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」と大切な人達との別れの思い出

※『ランヌ元帥』 ジュリー・ヴォルペリエール(Julie Volpelière)画

出典:Wikipedia


1809年4月、オーストリアがイギリスと第五次対仏大同盟を結成しフランスに宣戦布告を行ったことによりオーストリア戦役が始まりました。

ナポレオンはオーストリアを打ち砕くために出征し、1809年4月のエックミュールの戦い、5月のアスペルン・エスリンクの戦い、7月のヴァグラムの戦いと戦い抜き、10月にウィーンのシェーンブルン宮殿でシェーンブルンの和約が締結されました。

和約ではフランスの国益にかなう取り決めがなされたものの、その代償は大きくナポレオンはアスペルン・エスリンクの戦いで初めての敗北を味わい、無二の親友であるジャン・ランヌ元帥を失ってしまったのでした。

ナポレオンは倒れたランヌ元帥に取りすがり、涙を流して嘆き悲しんだと言われています。

ウィーンでのシェーンブルンの和約の締結後、ナポレオンはフランスに帰還しフォンテーヌブロー宮殿に向かいました。

ナポレオンはそこでジョゼフィーヌとおよそ1ヵ月ほど過ごす予定であり、彼女に重要なことを話さなければなりませんでした。

※1809年、アントワーヌ=ジャン・グロ(Antoine-Jean Gros)によって描かれた『マルメゾン城のジョゼフィーヌ』

出典:Wikipedia


そのためナポレオンが自分のためにオーダーし、コンピエーニュ城(Château de Compiègne)に納入するようにしていた「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットを急遽フォンテーヌブロー宮殿に納入するように指示したのです。

ナポレオンが到着する直前にフォンテーヌブロー宮殿に納入されたと言われています。

1809年11月30日、「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットが使用されている夕食時、ナポレオンは「フランスの国益のために後継者を産むことのできる妻を見つけなければならないこと」をジョゼフィーヌに告げ、離婚を切り出しました。

突然離婚を告げられたジョゼフィーヌでしたが離婚に同意し、12月15日に離婚届が書かれ、翌日に離婚届が受理されました。

離婚式が1810年1月10日に行われ、式ではジョゼフィーヌは娘のオルタンスが支えなければ歩けないほどショックを受けた様子だったと言われています。

皇帝ナポレオンにはどうしても直系の後継者が必要でした。

このように「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットは、親友ランヌ元帥と妻ジョゼフィーヌとの別れに関わりのあるとても思い入れ深いものだったのです。

1809年のオーストリア戦役から1814年のエルバ島への追放までおよそ5年が経過していたとしても、忘れられない思い出だったのだと考えられます。

もしかしたら夫婦としての夕食はこの時が最後だったのかもしれません。

この食器セットはその後、ナポレオンがエルバ島から脱出する前後に弟のジェローム・ボナパルトに託されたと言われています。

弟のジェロームに託したのは、思い出の詰まった「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットを守ろうとしたことが理由なのではないでしょうか。

ナポレオンがどれほどこの食器セットを大切に思っていたかを忍ばせるエピソードです。

1815年、ナポレオンはワーテルローの戦いに敗北し、セントヘレナ島に幽閉されてしまいます。

太西洋に浮かぶ絶海の孤島セントヘレナ島はイギリス領であり、ジェロームはナポレオンに「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットを届けることはできませんでした。

1821年5月5日、ナポレオンはセントヘレナ島で亡くなりました。

もしかしたら兄に返すかもしれなかった食器セットは行く宛てが無くなり、ジェロームは1829年11月、息子であるジェローム・ナポレオン・ボナパルトとその妻の結婚の時に「マリー・ルージュ(Marly Rouge)」の食器セットをお祝いとして贈ったと言われています。

2、ナポレオンの趣味が詰め込まれたデザートプレートセット「本営(Quartiers Généraux)」

※『アウステルリッツの橋』が描かれたプレート

出典:ナポレオン財団オンラインカタログ


1810年4月1日にルーヴル宮殿(現在のルーブル美術館)の礼拝堂でナポレオンとマリー・ルイーズの結婚式が執り行われました。

そして翌日の4月2日に催されたテュイルリー宮殿での祝宴時、1807年にナポレオンが個人的に使用するためにオーダーして製作が開始され、1809年3月27日に納入されたセーブル磁器製のデザートプレートセットが使用されました。

デザートプレートセットは合計82枚で構成され、72枚に絵柄が描かれており、その内28枚はナポレオンが自ら絵柄を指示しました。

ナポレオンが指示した絵柄は、4枚は2つのイタリア戦役、15枚はエジプト遠征、6枚はドイツ方面での戦役、3枚はオーストリア戦役に関する絵柄であり、ナポレオンが占領し本営が置かれた場所を表していると言われています。

ふんだんに金彩が使用されナポレオンが好きな緑が印象的なデザートプレートセットです。

このセットは後に「本営(Quartiers Généraux)」と名付けられました。

ナポレオンはこのデザートプレートセット82枚の内60枚をセントヘレナ島に持っていき、使用せずナポレオンの元に訪問した特別な人のために記念として贈りました。

ナポレオンが死亡したとき、54枚がセントヘレナ島のロングウッド・ハウスに残されていたと言われています。

デザートプレートセット「本営(Quartiers Généraux)」はナポレオンが制覇した場所をテーマとして描かれているため、まさに「皇帝」であり「軍人」であるナポレオンを象徴するセットと言えるでしょう。

3、ナポレオンお気に入りのコーヒーカップとソーサーのセット

※ナポレオンのコーヒーカップとソーサーのセット

出典:ルーブル美術館公式


結婚式およびその祝宴では食器セットの他にも彫刻や花瓶、調度品のあらゆるところにセーブル磁器が使用されていました。

1810年3月31日、エジプト風デザインのコーヒーカップとソーサー、コーヒーポット、ミルクポット、クリームポット、シュガーポットのセットもナポレオンとマリー・ルイーズとの結婚の祝宴のためにテュイルリー宮殿に納入されました。

このセットは36点以上で構成されており、すべてに金彩がふんだんに使用され、エジプト風の文様が描かれていました。

コーヒーカップやポット類にはエジプトの風景が、ソーサーの中心にはエジプトやアラブの人物がリアルに描かれています。

エジプトの文明を世に知らしめたのは自分だと言わんばかりのセットです。

このコーヒーカップとソーサーのセットはナポレオンのお気に入りとなり、セントヘレナ島にまで持っていったと言われています。

現在では幻とも言われているコーヒー「セントヘレナ・アイランド」をこのコーヒーカップとソーサーのセットで楽しんでいたのかもしれません。


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皇帝ナポレオンの周囲のいたるところにセーブル磁器がありました。

ナポレオンはセーブル磁器を愛用し、生活の中に溶け込んでいたのです。

当時、セーブル磁器の購入者は「特別な人」のみでした。

現在は陶磁器市場が広がったことにより、当時よりも入手はしやすくなりましたが、セーブル磁器を購入するほとんどの人達は富や権威、そして教養を持つ「特別な人」です。

そのため、富や権威、教養を持った人がセーブル磁器を見ると所有していることのステータスが理解できます。

ナポレオンが生きていた当時と同じものは一般に販売していませんが、あなたも皇帝ナポレオンを彩ったセーブル磁器を手に取ってみてはいかがでしょうか。

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