マントヴァ要塞攻囲戦(1796年7月) 08:オーストリア軍の食糧調達のための再出撃とミリアレット塹壕再奪取作戦の中断 
Siege of Mantua ( July 1796 ) 08

マントヴァ要塞攻囲戦(1796年7月)

勢力 戦力 損害
フランス共和国 約14,500人 不明
オーストリア 約14,000人 約500人以上

カント・ディール将軍による食糧調達計画

◎オーストリア軍の食糧調達計画

 カント・ディールはヴルムサーから次の支援に関する通知を受け取っていた。

 しかしマントヴァには僅かな食糧しか残っておらず、フランス軍が前線を押し上げたことにより周囲での食糧調達が不可能となったため、事態を打開するために出撃してフランス軍の砲台を破壊することにより街を砲撃から守る計画を立案した。

 しかしこの砲台破壊計画はヴルムサーがマントヴァ要塞を包囲しているフランス軍へ砲撃するまで延期されることとなった。

 マントヴァ要塞守備軍にとって喫緊の課題は食糧や飼料の調達だった。

 しかしフランス軍が斜堤の至近まで迫り塹壕での防衛線を構築していたため、まずはフランス軍の塹壕を破壊する必要があった。

 カント・ディールは7月16日に塹壕の破壊と同時に食糧調達を行うために一斉攻撃を行うことを決断した。

 計画は、まずサン・ジョルジョ城、ポンパナッツァ砦、サン・ニコロ、プラデッラ門の砲台が砲撃を開始し、主にマントヴァ東側への砲撃を行い、フランス軍の注意を東側に引き付ける。

 次に小艦隊4隻がスペリオーレ湖にあるポルタッゾーロ港(Porto Portazzolo)から出撃してアンジェリ(Angeli)を砲撃し、インフェリオーレ湖にあるカテナ港から数隻の小艦隊が出撃してフランス軍が占拠するミリアレットの塹壕へ砲撃する。

 その後ビカソヴィッチ旅団はプラデッラ門から、ルカヴィナ旅団はチェレセ門から、サリス旅団はプスタ―ラ門から出撃し、サリス旅団が示威行動でフランス軍の一部を引きつけている間にビカソヴィッチ旅団、ルカヴィナ旅団がミリアレットにあるフランス軍の前哨基地を占領して前線を押し上げつつ採食部隊が食糧を探す計画だった。

食糧調達計画の実行

 1796年7月16日午前3時頃、計画は実行に移された。

 オーストリア軍の作戦は当初予定通りに進んだ。

 ビカソヴィッチはスペリオーレ湖からの支援砲撃のおかげでアンジェリ、ベルフィオーレ、モンタナ―ラの3方向に3つの部隊で移動し前線を押し上げた。

 しかし途中、フランス軍の抵抗が激しくなりビカソヴィッチはフランス軍の前哨基地を占領することができなかった。

 ビカソヴィッチは採食部隊の作業を妨害させないために時間を稼ごうとした。

 ビカソヴィッチは本体でモンタナーラ(Montanara)にいたフランス軍1個大隊とマスケット銃の射程内で戦いフランス軍を引き付けつつ足止めを行ったのである。

 この足止めの時間によりダルマーニュとフィオレラは旅団を形成する時間を得た。

 旅団を形成したダルマーニュとフィオレラはビカソヴィッチと戦うためにモンタナーラに向かった。

 激しい戦いの後、ビカソヴィッチは要塞内に撤退した。

 ビカソヴィッチ旅団とフランス軍との戦いでオーストリア側の損失は、捕虜含む死傷者451人であり、フランス軍の損害は軽微だった。

 ビカソヴィッチが戦っている間、東側ではルカヴィナがミリアレットの塹壕を奪還し、チェレセ橋方面に約600人、ピエトレに約280人の部隊を差し向けており、フランス軍をチェレセ橋の向こうに押し戻した。

 しかしダルマーニュがすぐに駆け寄り、ルカヴィナ旅団を柵に押し戻し、前哨基地を砲撃した。

 この戦いによりルカヴィナの副官が死亡したが、この時の砲撃でフランス軍のカサ・ザネッティ砲台は損傷し沈黙した。。

 サリス旅団は前線から距離を置いており、ビカソヴィッチ旅団、ルカヴィナ旅団と比較して兵数も少なかったためプスターラ門から出撃して目の前のフランス前哨基地を攻撃し、カサ・ミシェリ(Casa Micheli)への示威行動のみを行った。

ミリアレット塹壕再奪取作戦の中断

 ビカソヴィッチ旅団、ルカヴィナ旅団、サリス旅団が要塞に戻るとカント・ディールはフィオレラ将軍に捕虜交換を提案した。

 話し合いの結果、捕虜交換は18日に行われることになり、7月17日、ボナパルトは側近とともにサン・ジョルジョに出向いた。

 この日、ボナパルトは捕虜交換前に要塞の至近に再度迫るためにミリアレットの塹壕を再占領するつもりだった。

◎ミリアレット塹壕再奪取作戦①

 ミュラ指揮下の1番目の部隊は副官であるヴィニョール大佐によって指揮され、ボートでミリアレットの塹壕近くに降り立ち後方からオーストリア軍を攻撃し、予備によって支援される他の3つの部隊はオーストリア軍の前哨基地を正面から攻撃する。

 これら3つの部隊はチェレセ門への土手道を行進し、1つはチェレセ門へ真っすぐ進み、他の2つは少し左右に移動してオーストリア軍の前哨基地を占領するよう命令された。

 サン・ジョルジョとカサ・ミシェリの砲台はこれら4つの攻撃を支援することになっていた。

 しかし作戦が実行に移されようとした時、ポンパナッツァ砦(Pompanazza)からの砲撃がアンドレオシーがピエトレに完成させたボート橋を破壊し、続けてヴィニョール大佐の部隊の乗船を妨げた。

 さらにインフェリオーレ湖が急に減水したため、この計画は実行に移すことができなかった。

 フランス軍の次の攻撃に気付いたルカヴィナが砲撃を命じたのである。

 これによりフランス軍の攻撃は一時中断せざるを得なくなった。