アルコレ戦役 17:カッリアーノとトルボレでの戦闘
Battle of Arcole 17

カルディエーロの戦い、アルコレの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 カルディエーロの戦い:約13,000人
アルコレの戦い:約19,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計約1,800人、大砲2門
アルコレの戦い:死傷者約3,300人、捕虜約1,200人
オーストリア カルディエーロの戦い:12,000人~16,000人
アルコレの戦い:約22,000人
カルディエーロの戦い:死傷者と捕虜の合計1,243人
アルコレの戦い:死傷者約2,070人、捕虜約4,144人、大砲11門

カッリアーノでの戦闘<初日>

 1796年11月6日、ボナパルトがバッサーノとフォンタニーヴァでアルヴィンチと戦っている頃、ダヴィドウィッチはカッリアーノで強固な防衛線を構築しているヴォーボワ師団へ攻撃を行っていた。

 ヴォーボワ師団左翼はアディジェ川沿いを守り、右翼は登ることが可能な山に配置されていた。

 そしてその正面を深い土手に流れるカヴァッロ(Cavallo)川に覆われていた。

 ピエトラ城とベセノ城はフランス軍によって強固に守られ、その間に位置する峠道は新しく掘られた塹壕によって封鎖されていた。

 前衛はカヴァッロ川の前に配置されていた。

◎カッリアーノでの戦闘<1日目>

 11月6日朝、ダヴィドウィッチ師団の前衛部隊はヴォーボワの前衛部隊をカッリアーノの市場の後ろに押し込み、カヴァッロ川の向こうに追いやった。

 しかしヴォーボワ師団はダヴィドウィッチ師団の前衛部隊を押し返して前進し、ダヴィドウィッチは2個歩兵連隊と騎兵の分遣隊でそれを止めた。

 ヴォーボワが攻撃を停止したとき、ダヴィドウィッチが派遣した2個歩兵連隊の半数は死傷していた。

 同時にヴォーボワは右翼の部隊を一部切り離してダヴィドウィッチの左翼側を包囲するために向かわせた。

 しかし、そこにダヴィドウィッチ師団の主力が到着した。

 ビカソヴィッチは左翼側に部隊を派遣しベセノ城を取り囲むよう命令し、約500人の部隊で山道を確保して支援させた。

 正午に向けてオーストリア軍は道に沿って前進し、右翼はカッリアーノの橋にフランス軍を押し戻し、左翼はベセノ城周辺のフランス軍を排除して城を取り囲んだ。

 その後も激しい戦いは続いたが夜になっても勝敗は決まらず、ベセノ城は封鎖されたもののヴォーボワが優勢を維持したままこの日の戦いは終わった。

 カッリアーノへの攻撃は失敗に終わり、フランス軍は数的劣勢だったにもかかわらずカッリアーノを守り切った。

 この日のダヴィドウィッチ師団の損失は、士官:死者2人、負傷者4人、捕虜2人、兵士:死者53人、負傷者351人、捕虜341人、馬:死亡2頭、負傷1頭、捕獲1頭だったと言われている。

 ヴォーボワ師団の損失はヴォーボワが書いた報告書にも記載が無く不明である。

トルボレでの戦闘

 11月6日、ガルダ湖北岸に位置するトルボレでも戦闘が行われていた。

 ヴォーボワ師団左翼約3,500人強のガルダンヌ旅団がトルボレ(Torbole)でラウドン(Laudon)旅団の襲撃を受けたのである。

◎トルボレでの戦闘

 トルボレは3方向からアクセスできるため防衛に不向きな地点であり、ガルダンヌは防衛しきれずにバルド山へ後退し、トルボレはオーストリア軍に占領された。

 その日の夜、ガルダンヌはヴォーボワの命令によりトルボレに夜襲を行った。

 オーストリア軍はガルダンヌの夜襲に驚き、分散して後退した。

 この夜襲でガルダンヌは約350人を失ったと言われている。

 分散したラウドン旅団はフランス軍の位置を探るために騎兵15騎を偵察に向かわせた。

 ラウドンの放った偵察騎兵の突然の出現はガルダンヌ旅団に混乱を引き起こし、モーリ(Mori)の方向に逃亡した。

 舟橋にガルダンヌ旅団が殺到し、その重量により舟橋は破壊され沈没した。

 ガルダンヌ旅団の一部がそこで溺死し、多くは右岸に残った。

 ガルダンヌは長時間かけて舟橋を復元し、ようやくアディジェ川を渡ることができた。

 舟橋を復元している間、ラウドンは分散した部隊を集結中だったためガルダンヌ旅団を攻撃することができなかった。

 その後、態勢を立て直したラウドンは、その日の内に労せずモーリの手前まで進んだ。

 そして翌朝にモーリを奪い、空のコロナとリヴォリを占領するために準備を行った。

 ヴォーボワはアディジェ川を渡って来たガルダンヌ旅団にロヴェレトからボルゴへの道を守らせた。

 深夜、ヴォーボワの元にボナパルトからの緊急の命令書が届いた。

 そこには「師団の一部をアディジェ川右岸に移動しバルド山を防衛せよ」という内容が書かれていた。

 しかしすでに夜も遅くその日の内には行動できなかったため、翌早朝、ガルダンヌ旅団の5個大隊をモーリに移動させ、カッリアーノからバルド山に師団の一部を向かわせた。