マルタ戦役 03:マルタの防御と兵力【エジプト遠征】 
Malta's defense and military strength

マルタを構成する島々及びその防御

マルタの地図(1888年)

※マルタの地図(1888年)

 マルタはマルタ(Malta)島、ゴゾ(Gozo)島、コミノ(Comino)島、コミノット(Cominotto)島、フィルフラ(Filfla)島とこれらの島々の周辺の小島で構成されている。

 主要な島はマルタ島、ゴゾ島、コミノ島であり、それぞれの島の周囲は塔で監視され、重要地点は要塞で防御されていた。

 特にマルタ島はグランドハーバーとマルサムシェット港の周囲に大規模な要塞群が築かれ、塔、砲台、堡塁、掘り、塹壕からなる沿岸防衛体制を構築していた。

 切り立った地形が多いマルタ島南岸や内陸にも塔があり、南岸で敵を発見すると煙や大砲、火を使って内陸の塔を経由して近くの要塞やヴァレッタに情報がもたらされる情報伝達システムも構築されていた。

 マルタ島を守る要塞群は1565年の対オスマン帝国との戦いで名を馳せており、難攻不落の要塞都市と認識されていた。

マルタ島の防御とマルタの防衛兵力

マルタ島の防御(1798年)

※マルタ島の防衛施設群。
※スペースの問題で地図には載せることができなかったが、これら塔や要塞の周囲は小砦や砲台、塹壕で防御されていた。

◎マルタの防衛兵力(マルタ諸島全島合計)

 聖ヨハネ騎士・・・332人(その内約50人は高齢のため戦うことができず、残りの約280人の内の200人はフランス人だった。)

 聖ヨハネ騎士は主に指揮官(軍の将軍や上級士官の役割)となり以下の軍を統率した。

 マルタ騎兵連隊・・・500人

 総長近衛隊・・・200人

 大隊の兵士達・・・400人

 ガレー船大隊・・・300人

 砲兵隊・・・100人

 民兵、猟兵連隊に編成・・・1,200人

 ガレー船乗組員・・・1,200人

 地元民兵・・・3,000人

 合計・・・6,900人(マルタ騎士を除く)

 ホンペシュはこれら兵力を250人ずつの24個中隊に分割し、島中のさまざまな砦で防衛態勢をとらせた。

※聖ヨハネ騎士の内訳:3つのフランス軍団・・・合計200人、イタリア軍団・・・90人、スペイン軍団・・・25人、ポルトガル軍団・・・8人、ドイツ軍団・・・4人、アングロ=バイエルン軍団・・・5人、合計332人。

首都ヴァレッタ周辺の防御

ヴァレッタ周辺の防御

※ヴァレッタ周辺の防御。"Quarantine Harber"とは「検疫港」という意味であり、正式名称はマルサムシェット・ハーバーである。

 聖ヨハネ騎士団領マルタの首都ヴァレッタは強固な要塞群を形成していた。

 その中心であるヴァレッタ要塞はグランドハーバーとマルサムシェット港の間の半島にあるセベラス山(Mount Sceberras)の上に建てられ、沿岸部は30mの防御壁で守られ、ヴァレッタ要塞のある半島の先端にはセント・エルモ要塞が四方に睨みをきかせていた。

 ヴァレッタ要塞の南側はフロリアーナ要塞線で防御されていた。

 グランドハーバー側(ヴァレッタの東側)の対岸には5つの小さな半島があり、その内の3つは強固な要塞で防御されていた。

 最も外海側の半島にあり、対岸のセント・エルモ要塞とともにグランドハーバーの入り口を守る稜堡式城郭、リカソーリ要塞(Fort Ricasoli)で防御されていた。

 外海側から3つ目の半島はサン・アンジェロ要塞(Fort St. Angelo)とビルグ要塞(Fortifications of Birgu)、4つ目の半島はサント・ミカエル・キャバリエ要塞(Fort Saint Michael Cavalier)で防御され、これらの要塞の陸側は内側のサンタ・マルゲリータ要塞線(Santa Margherita Lines)と外側のコットネラ要塞線(Cottonera Lines)によって防御されていた。

 フロリアーナ要塞線、サンタ・マルゲリータ要塞線、コットネラ要塞線はすべて稜堡式であり、陸側から攻撃されたとしても鉄壁の防御を誇っていた。

 マルサムシェット港側の対岸には2つの小さな半島と1つの小島があり、半島の内の1つと小島は要塞化されていた。

 最も外海側の半島にあり、対岸のセント・エルモ要塞とともにマルサムシェット港の入り口を守るティニエ要塞(Fort Tigné)、その南の小島マノエル島にあるマノエル要塞(Fort Manoel)によって防御されていた。

 ティニエ要塞は斜堤のない多角形要塞であり、マノエル要塞は小さいながらも斜堤を備える星形要塞だった。

ヴァレッタ要塞群の各指揮官

 セント・エルモ要塞・・・ヴァレッタ守備隊司令官ガーン(Gurn)騎士団長

 ヴァレッタ要塞とフロリアーナ要塞線・・・大元帥アベル・ド・ロラス(Abel de Loras)執行官

 リカソーリ要塞・・・ド・ティレット(de Tillet)執行官

 ティニエ要塞・・・騎士団長(Reichberg)ライヒベルグ

 サン・アンジェロ要塞・・・騎士ド・グルノー(de Gournau)

 ビルグ要塞・・・騎士団長ド・ゴンドルクール(de Gondrecourt)

 サント・ミカエル・キャバリエ要塞・・・ド・スフラン・ド・サントロペ(de Suffren de St Tropez)執行官

 コットネラ要塞線・・・トゥーサン・ド・ラ・トゥール・デュ・パン(Toussaint de la Tour du Pin)執行官、騎士団長ド・ティウージ(de Thiusi)

 コスクピア(Cospicua)のガレー船指揮官・・・騎士団長アニバレ・ド・ソウビラス(Annibale de Soubiras )

 マノエル要塞・・・グルジョー(Gourgeau)執行官、ラ・トゥール・サン・クァンタン(La Tour Saint Quentin)執行官

 ティニュ要塞、マノエル要塞、リカソーリ要塞の支援部隊・・・ヌヴー(Neveu)執行官

マルサシュロック周辺の防御

 マルサシュロックは首都ヴァレッタに次いで防御の固い地域だった。

 マルサシュロック湾の入り口にはベンギサ塔とデリマラ塔があり、湾内はローハン要塞を初めとしてヴァンドーム要塞、フレズノイ要塞、スピノラ要塞によって防御され、その周囲にはいくつかの小砦や7つの砲台、塹壕が設置されていた。

セント・ポールズ・ベイ周辺の防御

 セント・ポールズ・ベイは港を有する都市だった。

 その周囲は塔や要塞、小砦、砲台、塹壕などで防御されていたがヴァレッタやマルサシュロックと比較すると重要度は低く、防衛施設の数は多くは無かった。

マルタ島沿岸部の指揮官

 聖アガサ要塞・・・騎士セント・サイモン

 メリーハ(Mellieħa)・・・騎士団長ド・ビジエ(de Bizier)

 セント・ポールズ・ベイ・・・騎士ド・ラ・ペヌーズ(de la Penouse)

※聖アガサ要塞、メリーハ、セント・ポールズ・ベイなどの西部に関してはトゥール・デュ・パン(Tour du Pin)執行官が指揮したとの記述もあるため、当初コットネラ要塞線の防衛担当だったラ・トゥール・デュ・パン執行官が西部担当に変更となった、もしくはその逆の可能性もある。

 セント・ジュリアンからセント・ジョージまでの沿岸・・・騎士ド・プレヴィル(de Preville)

 シャジラ(Xgħajra)、セント・トーマス要塞、マルサシュロックのローハン要塞までの沿岸・・・騎士ド・ラ・ゲリヴィエール(de la Guérivière)

 ビルジェブジャ(Birżebbuġa)の沿岸・・・騎士団長デ・ロザン(de Rozan)

ゴゾ島の防御

ゴゾ島及びコミノ島の防衛施設(1798年)

※ゴゾ島及びコミノ島の防衛施設
地図には載せられていないが、シャンブレー要塞の北東700mほどの所にガルゼス塔(Garzes Tower)があり、塔や要塞の周囲に小砦や砲台、塹壕が設置されていた。

 ゴゾ島は主島マルタ島に次ぐ大きさの島であり、約2,300人の兵力で防衛されていた。

 ゴゾ島の中心都市であるチッタデッラと漁港のあるガインシレム、主要港のあるマルサルフォーンはチッタデッラ要塞とシャンブレー要塞、マルサルフォーン塔などによって防御されていたが、島を取り巻く塔や小砦、砲台、塹壕の数は少なかった。


 

 ヴァレッタ以外の地域から上陸したとしてもヴァレッタは陸戦にも強い抵抗力を誇る要塞群で防御されており、首都ヴァレッタを陥落させるのは容易ではないように見えた。

 マルタ島がすぐに降伏してくれれば良いが、もしマルタ島での戦いが長引いた場合、イギリス地中海艦隊に攻撃される危険があった。

 そのため、このような頑強な防御にもかかわらずボナパルトはゴゾ島とマルタ島に焦点を定め、占領計画を練った。

マルタ島南部とゴゾ島及びコミノ島の指揮官

 マルタ島南部及びイムディーナ要塞・・・トンマシ(Tommasi)執行官、イムディーナの町の長とその官吏

 ゴゾ島・・・騎士団長ド・メグリニー・ヴィッレ・ベルタン(de Megrigny Ville Bertin)

 コミノ島・・・騎士ド・ヴァラン(de Valin)

参考文献

・Whitworth Porter著「A History of the Fortress of Malta」(1858)

・Whitworth Porter著「History of the Knights of Malta or the Order of the Hospital of St. John of Jerusalem,第2巻」(1858)

・Vincenzo Busuttil著「A Summary of the History of Malta : Containing an Abridged History of the order of ST.John of Jerusalem from it's foundation to it's establishment in Malta」(1894)