リヴォリ戦役 22:マントヴァへ向かう道中のナポレオンの采配
Battle of Rivoli 22

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 リヴォリの戦い:19,000人~22,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門
ラ・ファヴォリータの戦い:不明
オーストリア リヴォリの戦い:約28,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門

ルシニャン大佐の逃避行

 1月15日夜明け、ルシニャン大佐はともに逃れた兵員が少なくなっていることに気付いた。

 兵士のほとんどは厳しい寒さから逃れ、食料を求めるために遠くに散らばっていた。

 散らばった兵士たちはその後フランス軍によって捕らえられた。

 1月15日午前、ルシニャン大佐はすべての退路が封鎖されていることに気付いた。

 ルシニャンは残っていた兵士達にルシニャンの元を離れ、自力で脱出することを許可した。

 大佐は10人の将校と数人の兵士とともにトッリとガルダの間に位置する人里離れた廃城にその身を隠した。

 ルシニャン大佐は脱出する機会をうかがっていたが、周辺地域を巡回する哨戒部隊とガルダ湖を巡航するフランスの船のため脱出できずにいた。

 ルシニャンは脱出の機会が訪れるまで廃城に潜伏することとなった。

マントヴァへ向かう道中のナポレオンの采配

 1月15日午前5時15分、3個半旅団とともにリヴォリを離れカステルヌォーヴォに到着したボナパルトはジュベール将軍に書簡を送った。

 その書簡には「前日に命じたようにジュベール師団とレイ師団とともコロナを奪還すること」、「ヴィクトール旅団(第57半旅団)には前日の総司令官による命令を撤回し、予備としてリヴォリと高原の間に配置して状況に応じて使うこと」、「オーストリア軍を撃破してコロナを奪還したら状況に応じてヴィクトール旅団とレイ師団をヴィラフランカに向かわせること」、「ジュベール将軍が今日(1月15日)にコロナを奪還でき、アディジェ川のこちら側(右岸側)に留まり続けるなら、オージュロー将軍がどんな采配をしたとしても明日(1月16日)にプロベラ師団を打ち破っているだろうこと」が書かれていた。

 そして騎兵隊や砲兵隊などジュベール将軍が絶対に必要としないものをすべて送り返すよう強調した。

 この書簡が届いた頃にはすでにリヴォリを出発していたのかジュベールが送り返したのかは不明だが、ヴィクトールがリヴォリの戦い<2日目>に参加したという記録は見当たらない。

 ボナパルトの元に昨日ギウ将軍が書いた書簡が届けられた。

 そこにはアディジェ川下流域での出来事の詳細が書かれていた。

 午前8時、これを見たボナパルトは立て続けに手配を行った。

◎マントヴァへ向かう道中のナポレオンの采配

ラ・ファヴォリータの戦い(1797)における前日のフランス軍の機動

 ヴェローナを守るシャボー将軍に、現在の状況とフランス軍の勝利についての説明を行い、シャボー将軍は決して撤退せずサン・ミケーレとサン・ジョルジュ門を防衛するように命じ、もしアンジャーリでアディジェ川を渡った敵がヴェローナに近づいた場合、ブッソレンゴに配置した大隊を向かわせることを約束する書簡を送った。

 そしてロンコに本部を置きプロベラ師団を追跡しているギウ将軍に、もしアンジャーリへ渡河したプロベラ師団がヴェローナやヴィラフランカ方面もしくはマントヴァ方面に向かった場合、イーゾラ・デッラ・スカラ(Isola della Scala)に移動するよう命じ、オージュロー師団の状況をロヴェルベッラに送りすべて知らせるよう要求する書簡を送った。

 前日、オージュロー将軍は本部と分断されていて連絡が途切れていたため、連絡のつくギウ将軍から情報を得ようとしたのである。

 さらにセリュリエ将軍からマントヴァ要塞方面へのプロベラ師団の進軍の詳細を受け取ると、すぐに3個半旅団とともにヴィラフランカに向かった。

 午前中にヴィラフランカに到着し、マッセナと合流したボナパルトはジュベールに1月14日のオージュロー師団の成功などを伝え、勝利をほぼ確信している書簡を送った。

 その後、ヴィクトール将軍率いる第57半旅団の2個大隊もヴィラフランカに到着した。

 ボナパルトは、連絡は途切れていたがオージュローにマントヴァ要塞へと進軍しているプロベラ師団を追跡し、後方と左側面を妨害するよう命じ、ドゥガ予備騎兵隊にはロヴェルベッラの北東に位置するトルミネ(Tormine)に向いオーストリア軍の動きを監視するよう指示していた。

 そしてギウ師団は書簡が届いた後にイーゾラ・デッラ・スカーラ(Isola della Scala)を経由してマントヴァ方面に向かうはずであった。

 ボナパルトは、マッセナ師団とヴィクトール旅団、ルクレール騎兵隊をロヴェルベッラに向かわせ、セリュリエ将軍に48時間分の食糧を持ってサン・ジョルジュへ急ぐよう命じた。

 そしてミオリス(Miollis)将軍にサン・サンジョルジュを守るよう命じた後、ボナパルトはロヴェルベッラに向かって出発した。