リヴォリ戦役 31:フランス軍によるバッサーノへの攻撃計画とアルヴィンチの出発
Rivoli Campaign 31

リヴォリの戦い、ラ・ファヴォリータの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 リヴォリの戦い:19,000人~22,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:セリュリエ師団約6,000人+オージュロー師団とマッセナ師団の一部
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約3,200人、大砲2門
ラ・ファヴォリータの戦い:不明
オーストリア リヴォリの戦い:約28,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:プロベラ師団約7,000人、マントヴァ要塞駐屯軍約10,000人
リヴォリの戦い:死傷者と捕虜の合計約12,000人
ラ・ファヴォリータの戦い:死傷者不明、捕虜約6,000人、大砲22門

マントヴァ要塞の状況とオクスカイ旅団の計画の変更

 1797年1月24日、マントヴァからの使者がアルヴィンチの元に到着した。

 アルヴィンチは「1月28日まで部隊に食料を供給することができ、あと数日は自力で立ち向かうこと」、「今後は毎晩11時~12時に大砲を放ちマントヴァ要塞の存命を知らせること」、「もしこの時間に24回大砲が放たれた場合、要塞はその3日後に降伏すること」を知らされた。

 アルヴィンチはマントヴァ要塞を救うために何もできないことを再認識し、降伏までの時間を引き延ばすことによってフランス軍がマントヴァ要塞の包囲のために兵力を割き、アルヴィンチがバッサーノへの移動を完了するまで注意を逸らしてくれることを望んでいた。

 25日、オクスカイ旅団の計画が少し変更され、カルドナッツォ(Caldonazzo)、ボルゴ・ヴァルスガーナ、グリーニョ(Grigno)を占領して2個大隊を残し、ゼッケンドルフ旅団の後に続くよう命じられた。

 そのためオクスカイ旅団の行軍は1日遅れ、1月30日までバッサーノに到着しないだろうと見込まれた。

 一方、ボナパルトはこの時ヴェローナで各師団や予備の大砲の配分について計算し、砲兵司令官であるレスビナス将軍に指示を送っていた。

ラウドン旅団の役割と計画

 25日、オーストリア軍右翼を率いるラウドン将軍にもアルヴィンチからの命令が下った。

◎ラウドン旅団の防衛計画

リヴォリ戦役:1797年1月25日、ラウドン旅団の防衛計画における前線の推移

 バルド山への接近を維持しつつ適切なタイミングで後退を指示し、時間を稼ぎながらロヴェレトからカッリアーノへ後退する。

 カッリアーノはアルヴィンチがヴァルスガーナを通ってバッサーノもしくはピアーヴェ川方向に向かうまでの間、防衛されなければならない。

 カッリアーノを放棄しなければならない場合、ラヴィースまで後退する。

 ラウドン将軍は、プステリア峡谷(Val Pusteria)を進む部隊(恐らくグラッフェン旅団)がフリウーリの州境に到達し、アルヴィンチがヴァルスガーナに残っている物資を回収しながらピアーヴェ川の軍と合流するために十分な時間、ラヴィースでフランス軍を食い止める予定だった。

 もしラヴィースも保持できない事態となった場合、ラウドン将軍はプステリア渓谷に入り、ミトロフスキー旅団はフェルトレとプステリア渓谷の間に位置するコルティナ(Cortina)に向かわなければならないだろう。

 チロル方面を防衛するラウドン旅団の役割は、侵攻することではなく、アルヴィンチがピアーヴェ川方面に部隊を移動させるまでの間、防衛して時間を稼ぐことに主軸が置かれていた。

 そのためラウドン将軍はヴァラッサへ4個中隊を進出させ、セッラヴァッレ、キッツォーラ、およびサン・ヴァレンティーノの塹壕を改善、増強して大砲を配備し、チロル州のライフル部隊の組織化を最大の熱意をもって行った。

マッセナ師団、オージュロー師団の前進と迂回作戦

◎マッセナ師団、オージュロー師団の前進と迂回作戦

リヴォリ戦役:1797年1月25日、マッセナ師団、オージュロー師団の前進と迂回作戦

 1月25日、マッセナ師団は再びバッサーノに向かって前進した。

 マッセナ指揮下のケレルマン旅団はオージュロー師団のチッタデッラ攻略を支援するためにフォンタニーヴァの南の浅瀬を抵抗なく渡り、師団本体はノーヴェの後ろに布陣した。

 しかしオージュロー師団は騎兵隊の無知と深い霧によって未だチッタデッラに到着していなかった。

 ようやくチッタデッラに到着したオージュローはオーストリア軍がチッタデッラを放棄したことを知るとこれを占領した。

 マッセナはオージュローに、オーストリア軍の後方地域(カステルフランコとトレヴィーゾ周辺地域)を獲得することを提案した。

 オージュローはこれを受け入れ、翌26日正午に迂回を完了させ、マッセナ師団の大砲を合図としてすぐに行動に移すことを約束した。

アルヴィンチのバッサーノへの出発

 1月25日夜~26日未明、アルヴィンチはトレントからバッサーノへの行軍を開始した。

 アルヴィンチが25日夜に受け取った報告では、アルヴィンチはバッサーノでコボロス将軍、バヤリッヒ将軍、ミトロフスキー将軍麾下の部隊を合計した14個大隊、8個騎兵中隊と合流できると予想した。

 そして、オージュロー師団がパドヴァより先に移動せず、マッセナ師団はヴィチェンツァを越えず、両将軍は未だ攻撃を検討している段階であることを望んだ。