レオーベンへの道 06:ジュベール師団の攻勢の失敗とその後の強化
Road to Leoben 06

ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人
グラディスカの戦い:推定約10,000人
タルヴィスの戦い:推定約11,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人
グラディスカの戦い:ほぼ無し
タルヴィスの戦い:約1,200人
オーストリア ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人
グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人
タルヴィスの戦い:推定約8,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門
グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門
タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台

ジュベールによる威力偵察

 1797年2月28日、700名のフランス兵がチロル軍右翼の駐屯地を攻撃して一時的に押し戻したが、大砲の砲火で足止めされている内に支援部隊が到着してフランス軍を以前の位置に追い返した。

 左翼側でも300人のフランス兵がソヴェール(Sover)を攻撃したが、撃退された。

 その後、チロル軍は、本国から到着した2個大隊によって補強された。

 ライン方面からの増援であるメルカンディン(Mercandin)師団は接近してきており、3月2日チロルに到着すると予想されていた。

 そのため、それまでの間にリプタイ将軍の状況が悪化しチロル方面の危険が増した場合、メルカンディン将軍はケルペン師団を切り離し、ブレッサノネ(Bressanone)に前進させて防御支援を行い、ジュベール師団の前進を阻止することになっていた。

ジュベール師団による攻撃の失敗

 ボナパルトは、オーストリア軍がアヴィーシオ川の左岸に橋頭保を築こうとしていることを知ると、ジュベール将軍に攻撃するように命じた。

 そのため、ベリヤード将軍は3月1日に1,000人の兵士を率いてソヴェールに向けて前進し、村に駐留していた200人の兵士といくつかの大砲を追い出し、略奪した後、夕方にその場所を離れた。

 翌2日朝、ベリヤード旅団はファエード(Faedo)、ヴェルラ(Verla)、コロナ山の3ヵ所に攻撃を行った。

◎ジュベール師団の攻勢

 いくつかの地点ではオーストリア軍は数的劣勢の状態で防衛することを余儀なくされた。

 この危機に狙撃大隊指揮官であるエリン大佐は大隊の一部を前進させ、コロナ山を攻撃しているフランス軍4個大隊へ狙撃を行った。

 そして2つ目の狙撃中隊をミニアリッチ大尉が率い、フランス軍の背後にあるパルーへ向かわせた。

 フランス軍は、大きな損失を被ってプレッサーノ(Pressano)に追い返された。

 大隊の一部が降伏し、地面には52人の死体が転がっており、そしてその大隊指揮官は、士官12人、兵士103人と共に、オーストリア軍の捕虜となった。

 オーストリア軍の損害は、士官2人を含み、死者12人、負傷者25人だったと言われている。

 フランス軍は午後3時までヴェルラへの攻撃を繰り返したが、すべて失敗に終わった。

 ベリヤード旅団の攻撃と同時にミュラ将軍もオーストリア軍右翼へ前進したが、オーストリア軍右翼のザンバーナ(Zambana)への執拗な攻撃によって撃退された。

 この戦闘におけるフランス側の資料では、フランス軍の戦果のみが報告されており、ベリヤード将軍は旗と牛40頭を奪い、ミュラ将軍は100人を捕虜としている。

 恐らく、ベリヤード旅団は捕虜を捕らえていないことから、捕虜を捕らえることもできずに撃退されたと考えられる。

 ミュラ将軍はオーストリア軍右翼へ向かって前進しザンバーナまで進出していることから、ミュラ将軍の前進は成功してラヴィースの背後を取ったが、ベリヤード旅団が撃退されたことにより後退したのだと考えられる。

 この日、ボナパルトはボローニャからマントヴァに本部を移し、その後、ヴェローナに到着したデルマス師団はジュベール将軍指揮下に置かれて再編成され、デルマス将軍には約2,000人とともにアディジェ川での後方警備任務が与えられた。

 これによりジュベール師団(レイ師団、ダルマーニュ師団、デルマス師団含む)の総数はおよそ20,000人を数えることとなった。