レオーベンへの道 35:ケルペン中将によるチロルでの大規模攻勢計画
Road to Leoben 35

ヴァルヴァゾーネの戦い、グラディスカの戦い、タルヴィスの戦い

勢力 戦力 損害
フランス共和国 ヴァルヴァゾーネの戦い:推定17,000~20,000人
グラディスカの戦い:推定約10,000人
タルヴィスの戦い:推定約11,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約500人
グラディスカの戦い:ほぼ無し
タルヴィスの戦い:約1,200人
オーストリア ヴァルヴァゾーネの戦い:推定約15,000人~18,000人
グラディスカの戦い:推定3,000~4,000人
タルヴィスの戦い:推定約8,000人
ヴァルヴァゾーネの戦い:死傷者と捕虜の合計約700人、大砲6門
グラディスカの戦い:死者約500人、負傷者 不明、捕虜2,513人、大砲8門
タルヴィスの戦い:1797年2月22日~23日にかけての一連の戦いの損害の合計約2,500人、大砲25門、荷車400台

ケルペン中将の攻勢計画

 3月27日のボルッツァーノでの勝利はチロル軍を湧き立たせた。

 そのためケルペン中将は、ジュベール将軍をミットヴァルトから追い出し、ブレッサノネとボルッツァーノを経由して押し戻すための総攻撃計画を立案していた。

 この計画は4月2日に実行に移すことが決められ、目標を達成するためにはブレッサノネとボルッツァーノに駐屯するフランス軍分遣隊をあらゆる方向から包囲し、2つの町の間の連絡を完全に遮断し、フランス軍の攻撃地点を制圧し続ける必要があると考えられた。

◎ケルペン中将によるチロル軍大規模攻勢計画の全容

 4月1日には新たに動員されたチロル州兵(武装民兵)の軍が編成された。

 州兵軍左翼の第1縦隊はリッツァイル(Ritzail)の民衆で構成され、フンドレス(Fundres)渓谷に集結し、ラック中尉に率いられた100人のオーストリア正規兵によって支援されていた。

 第2縦隊は400人のクロアチア人部隊が加わったヴァルス(Valles)の民衆で構成され、ヴァルス渓谷に集結した。

 左翼は合計約5,000人となり、4月2日にリオを襲撃し、リオの占領に成功した場合、アイカを襲撃し、その後リエンツ川をブレッサノネに向かって前進することになっていた。

 州兵軍中央はエッガー(Egger)渓谷の農民3000名とペンサー・ヨッホ(Penser Joch)の農民2000名で構成され、ミハイロヴィッチ中尉を伴ったクロアチア人ライフル兵150人とその他400人からなる分遣隊とともにフラッガー(Flagger)渓谷を横断してシャルダラー(Schalderer)渓谷に向けて前進する。

 そして4月2日、これらの軍はシャルダース(Scaleres)とヴァルナ(Varna)を襲撃し、ティルス(Tils)、ピンツァゲン(Pinzagen)、チッツェ(Scezze)に進軍してブレッサノネの後ろの道を塞ぐ。

 州兵軍右翼はサレン渓谷とヴァルドゥルナ(Valdurna)渓谷からの民衆がペンネス(Pennes)に集まり、ラ・モッテ(La Motte)中尉とオーストリア正規兵100人が合流した。

 これらは合計約7,000人で構成され、4月2日にヴァルドゥルナに集結した。

 右翼の目的は、アッツヴァング(Atzwang)とキウーサにの山の上にあるサビオーナ(Sabiona)修道院からの道を監視し、可能であればラズフォンス(Lazfons)を占領し、コルマ(Colma)を守ることだった。

 その他、周辺の自治体は渓谷を封鎖し、フランス軍に可能な限りのダメージを与える必要がある。

 ヴィピテーノ(Vipiteno)の近くに位置するケルペン中将の師団は、州兵軍に750人を割り当てたことによって5000人未満に減少し、道路上の陣地からミットヴァルトに向けて前進することになっており、州兵軍による側面攻撃が成功するのに比例して勢力範囲を拡大する方針だった。

ラウドン旅団の編成と計画

 ラウドン将軍は2,000人の兵と割り当てられたチロル州兵を3つの縦隊に分けた。

 州兵はオーストリア正規兵8個中隊などによって補強され、ヴィンチュガウ(Vintschgau)からの州兵とパッセイヤー(Passeyer)渓谷、ヴァル・ディ・ノン(Val di Non)渓谷の民衆達で構成されていた。

 第1縦隊(ラウドン旅団右翼)は歩兵約1,000人、幕僚竜騎兵24騎、大砲6門で構成され、4月1日にラーナ(Lana)に集結した。

 そして2日の夜明けに、歩兵150人からなる分遣隊が大砲2門を数発発射し、アディジェ川右岸のテルラーノ近くの橋に接近し、第2縦隊と連携して橋を占領し、その後エッパン(Eppan)のサン・ミケーレ(San Michele)を経由して第1縦隊全体を前進させる予定だった。

 そこから第1縦隊はまずカルダーロ(Caldaro)、ギルラン(Girlan)、ボルッツァーノに対して陽動攻撃を行い、次に第3縦隊所属のヴァル・ディ・ノンの州兵の支援を受けてロヴェレ・デッラ・ルーナ(Rovere' della Luna)とノイマルクト(Neumarkt)に対して陽動攻撃を行わなければならなかった。

 第2縦隊(ラウドン旅団中央)はブロダノヴィッチ(Brodanovich)大佐が指揮し、歩兵600人、竜騎兵50騎、チロル州兵2個中隊、大砲6門で構成されていた。

 4月1日の夜、第2縦隊はガルガゾン(Gargazon)近くに集まった。

 第2縦隊の任務は、2日に左岸のテルラーノ(Terlano)の橋を攻撃し、その後、モリジング(Morizing)とグラニング(Glaning)を通って前進し、イェネージエン(Jenesien)の第3縦隊と合流してからボルッツァーノを攻撃することだった。

 第3縦隊(ラウドン旅団左翼)はラウドン将軍が指揮し、歩兵700人、幕僚竜騎兵11騎、小銃を装備した2個中隊、山砲10門で構成され、4月1日にイェネーシエン付近に集結した。

 ヴィンチュガウの州兵とパッセイヤーの州兵の大部分も4月1日にイェネーシエンに到着し、4月2日には第2縦隊が合流するためにそこに到着するはずだった。

ラウドン旅団の作戦開始の合図

 ラウドン将軍は、第3縦隊に(ラウドン旅団左翼)、ラ・モッテ中尉率いる州兵軍右翼がサレン渓谷からアッツヴァング(Atzwang)、サビオーナ(Sabiona)修道院、そしてコルマ(Colma)への攻撃が成功するまで前進しないよう指示した。

 ラ・モッテ中尉率いる州兵軍右翼がコッラルボ(Collalbo)を経由してエイサック川の右岸に下降し、主要道路を占領するとすぐにラウドン旅団に連絡を行い、ボルッツァーノの北に位置するサン・ジョルジョ教会の近くに設置された大砲6門から砲弾が発射され、全体的な作戦開始の合図となるよう手配された。

 その後、第3縦隊は行進してボルッツァーノとレンチ(Rentsch)に対して態勢を整え、第1縦隊はノイマルクトに向かい、第2縦隊はアディジェ川左岸からボルッツァーノに向かって進むのである。