エジプト戦役 11:ネルソン戦隊のアレクサンドリアへの到着とフランス艦隊の戦闘準備の開始 
Nelson arrives at Alexandria

ネルソンのアレクサンドリアへの到着

1798年8月1日午後1時時点でのネルソン戦隊の位置と隊列【ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)】

※1798年8月1日午後1時時点でのネルソン戦隊の位置と隊列

 1798年7月31日夜、フリゲート艦を有していないネルソン少将は、アルフレッド級74門3等戦列艦「アレクサンダー(Alexander)とエリザベス級74門3等戦列艦「スウィフトシャー(Swiftsure)」をアレクサンドリアの港の偵察のために先行させ、ネルソン戦隊本体はアレクサンドリア沖に向かった。

 8月1日正午頃、ネルソン戦隊はアレクサンドリアのファロス塔(カイート・ベイの要塞)を視界に収めた。

 午後1時、アレクサンドリアは南南東にあり、7~8リーグ(約39km~約44.5㎞)離れていた。

※フランスでの1リーグは4㎞だが、イギリスでは陸と海でリーグの距離が違い、陸では1 league = 3 miles ≒ 4.83 kmであり、海上では1 league = 3 海里 = 5.556 kmである。

 午後2時頃、アレクサンドリアの港を観察したアレクサンダーとスウィフトシャーからフランスの輸送艦を発見したが、主力艦隊は見当たらないとの連絡があった。

 午後2時55分、ネルソンはフランスの輸送艦を発見したことから、フランスの主力艦隊はそう遠くない場所にいると考え、各艦の船尾のアンカーロープを巻き上げ、前方に運搬するよう命じた。

 アンカーロープの移動は前進する艦を方向転換して広い弧を描いて砲撃を行うためのものであり、ネルソンの戦術を実行するための準備だった。

 午後3時15分、ネルソンは戦闘準備を行いつつエジプトの海岸を観察するために針路を東に変更した。

フランス艦隊によるイギリス艦隊の発見と戦闘準備の開始

 午後2時半、フランス艦ウールーの船員がイギリス艦隊を発見し、イギリス艦隊は戦列艦11隻とその他2隻であることを報告した。

 ブリュイ提督はフリゲート艦を陸と各戦列艦との行き来に使用していたのか外洋に偵察に出しておらず、そのためイギリス艦隊の発見が遅れることとなった。

 アレクサンドリアの港に偵察に向かったアレクサンダーとスウィフトシャーはネルソンの元に帰還中であり、フランス側に発見されていなかった。

 この時、北西の風が吹いており、ブリュイ提督は士官たちとテーブルについていた。

 乗組員とボートの一部はロゼッタやアレクサンドリア、アブキール湾などから上陸していた。

 イギリス艦隊発見の報が知れ渡るとフランス兵は配置につくために慌てふためいた。

 ブリュイ提督はブリッグ船ライユール(Railleur)に出航して偵察するよう合図をし、「アレクサンドリア、ロゼッタ、そして陸上にいたボートに対し、艦隊に合流すること」、「アレクサンドリアの輸送船の乗組員に対し、陸路でアブキール湾に向かい、艦隊に乗船すること」などを命じた。

 この時のフランス艦隊の状況は陸軍に食糧と水のほとんどを持っていかれてしまったため食糧と水の不足に悩まされていた。

 そのため陸地に掘った井戸をベドウィンなどの襲撃から防衛したり、近くの村から食糧や水を徴集するために多くの乗組員を上陸させていた。

 そもそもトゥーロン出港時からより多くの陸軍兵士と物資を乗せるために乗組員を減らされていたのに加え、不足している乗組員をエジプトに上陸させて分散させていたため、ブリュイ提督はアレクサンドリア、ロゼッタ、アブキールに派遣して上陸させていた乗組員をアブキール湾の主力艦隊に合流するよう呼び寄せたのである。

 しかしアレクサンドリアにいたボートや輸送船には海からはアブキール湾に向かうことができなかったため陸路を使うよう命じた。

 アレクサンドリアの旧港からアブキール湾まではおよそ22㎞ほどの距離があり、ボートや輸送船の乗組員が主力艦隊と合流するのは早くても夜遅く、遅くとも翌日になるだろうと考えられた。

 フリゲート艦「シリウーズ(Sérieuse)」艦長マルタン(Martin)も戦列艦「トゥノン」の乗組員が足りず貧弱な艦砲射撃しかできないため150人をトゥノンに派遣した。

 フランクリンを指揮する副司令官シャイラ(Armand Blanquet du Chayla)少将はイギリス艦隊を迎え撃つために出航するようブリュイ提督に進言していた。

 そのためかこの時点のブリュイ提督は出航して戦うことも視野に入れていた。

 出航して戦えば外洋に逃れることも可能となり、致命的な敗北を避けることができる。

フランス側資料に記載されているネルソン戦隊発見時の隊列

1° le Culloden en tête, カローデンが先導

2° le Goliath, ゴリアテ

3° le Zélé, ジーラス

4° l' Orion, オリオン

5° l'Audacieux, オーディシャス

6° le Thésée, テセウス

7° le Vanguard, vaisseau amiral, 旗艦ヴァンガード

8° le Minotaure, ミノタウロス

9° le Bellerophon, ベレロフォン

10° la Défense, ディフェンス

11° le Majestueux, tous de soixante-quatorze, マジェスティック(これらはすべて74門の砲を搭載)

12° le Léandre de cinquante et la Mutine, corvette de quatorze canons, 50門のリアンダーと14門のコルベットであるミューティーン

13° l'Alexandre, アレクサンダー

14° le Swiftsure, ces deux vaisseaux étaient hors de vue, à l'ouest d'Alexandrie.スウィフトシャー(アレクサンダーとスウィフトシャーはアレクサンドリアの西にいて見えなかった)

ブリュイ提督の決断

 午後3時、オリエントが上檣帆(トゲルンマスト)を張ると、他の艦船もそれに倣った。

 同時に、ブリュイ提督は静止して戦闘準備をするよう合図した。

 ブリュイ提督は数秒ためらった後、2隻目の錨を下ろして停泊して戦うよう合図した。

 そしてイギリス艦隊に側面を向けるために船首を別の船の船尾に振り向けるよう命じた。

 ブリュイ提督は副司令官シャイラ少将の進言を受け入れて出航することも考えたが、人員が足りないフランス艦隊の現況を鑑みて、アブキール湾に停泊して迎え撃つことを決意したのである。

 その間に乗船するためにアブキール湾に到着した乗組員を再乗船させるために、フリゲート艦は陸にいる船員を船に移送した。

 その後フリゲート艦4隻は海岸近くでアレクサンドリアなどの遠方から陸路で来る乗組員たちを待つことになる。

 この時、ブリュイ提督は「あと数時間で暗くなるため、イギリス艦隊は座礁する危険のある地理不案内なアブキール湾でこれからすぐに戦うのではなく、翌日明るくなってから、戦おうとする可能性が高い。明日になればアレクサンドリアやロゼッタから向かってきている乗組員によって補強され、出航して一戦交えることもアブキール湾で迎え撃つことも選択できる。」と考えたのではないだろうか。

参考文献References

・Correspondance de Napoléon Ier: publiée par ordre de l'empereur Napoléon III,第4巻

・Napoleon Ⅰ著「Guerre d'Orient: Campagnes de Égypte et de Syrie, 1798-1799. Mémoires pour servir à l'histoire de Napoléon, dictés par lui-même à Sainte-Hélène, et publiés par le général Bertrand, 第1巻」(1847)

・Nicholas Harris Nicolas著「The Dispatches and Letters of Vice Admiral Lord Viscount Nelson , 第3巻」

・「Histoire des Combats D'Aboukir, De Rrafalgar, De Lissa, Du Cap Finistere, et de plusieurs autres batailles navales, Depuis 1798 Jusqu'en 1813」(1829)

・John Marshall著「Royal Naval Biography,Vol 1. Part 2.」(1823)