エジプト戦役 12:フランス艦隊の発見とネルソン戦隊のアブキール湾への移動 
Movement of Nelson Squadron to Abu Qir Bay

ネルソン戦隊によるフランス艦隊の発見

1798年8月1日午後4時時点でのネルソン戦隊の位置と隊列【ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)】

※1798年8月1日午後4時時点でのネルソン戦隊の位置と隊列

 1798年8月1日午後4時、ネルソン戦隊はカローデン、ゴリアテ、ジーラス、オリオン、オーディシャス、テセウス、ヴァンガード、ミノタウロス、ベレロフォン、ディフェンス、マジェスティ、リアンダー、ミューティーン(コルベット艦)の順でファロス塔が南南西4~5リーグ(約22.2㎞~約27.8㎞)に見える位置にまで東進していた。

 その時、アロガント級74門三等戦列艦「ジーラス」のフッド艦長から「アブキール湾に16隻の戦列帆があると思われるフランス艦隊を発見した。」との合図がヴァンガードに送られてきた。

 実際のところフランス艦隊は戦列艦13隻、フリゲート艦4隻という構成だったが、ジーラスからは16隻であるとの報告を受けた。

 フランス艦隊発見の合図を受けたネルソンはすぐに帆を張り、その動きはネルソン戦隊の各艦に即座に観察され、戦隊全体がヴァンガードに追従した。

 この時の風は北北西で、船員が言うところの「最高の風」が吹いていたと言われている。

ネルソンが準備していた事前の計画

 ネルソンは戦隊を3つに分割し、指揮する部隊の可能な限り最善と思われる配置を事前に計画し、各艦長に伝えていた。

 1つ目は「ヴァンガード(Vangard)」、「ミノタウロス(Minotaur)」、「リアンダー(Leander)」、「オーディシャス(Audacious)」、「ディフェンス(Defence)」、「ジーラス(Zealous)」。

 2つ目は「オリオン(Orion)」、「ゴリアテ(Goliath)」、「マジェスティ―(Majestie)」、「ベレロフォン(Bellerophon)」。

 3つ目は「カローデン(Culloden)」、「テセウス(Theseus)」、「アレクサンダー(Alexander)」、「スウィフトシャー(Swiftsure)」。

 以上の3つである。

 ネルソンは常日頃から艦長や士官たちを集めてネルソンの考えや計画について十分に説明しており、各艦長や士官達は敵の状況を調査すると、それ以上の指示なしに、上官の考えや意図が何であるかを正確に認識することができていた。

 これらの部隊の内2つは戦闘艦を攻撃することになっており、3つ目は輸送船を追跡してできる限り多くの輸送船を沈めて破壊することを目的としていた。

 ネルソンは、フランス艦隊の全注意を1つ目の本隊と2つ目の分隊に集中させ、同時に3つ目の分隊でフランスの輸送船団を妨害して損傷させるために部隊を配置するよう検討していた。

 しかし、アレクサンダーとスウィフトシャーとは距離が離れ、3つ目の分隊が襲撃するはずのフランスの輸送船団はアレクサンドリアの旧港に停泊していたため計画の再構築を迫られた。

ネルソンによる計画の変更

 ネルソンの意図は、どちらかの翼の端から突入し、フランス艦艇を前後から挟んで撃滅していくという各個撃破戦術であり、この時、輸送船団への攻撃は必要なくなっていた。

 ネルソンは戦隊を3つに分割し、フランス艦隊の前部(右舷側)をヴァンガード含む5隻、後部(左舷側)を7隻で襲撃する計画を各艦長に伝えた。

 1つ目は左翼であり、ヴァンガード、ミノタウロス、ディフェンス、ベレロフォン、マジェスティの5隻で構成され前部を担当した。

 2つ目は右翼でありゴリアテ、ジーラス、オリオン、オーディシャス、カローデン、テセウス、リアンダーの7隻で構成され後部を担当した。

 3つ目はアレクサンドリアの旧港沖から向かってきているアレクサンダーとスウィフトシャーの2隻であり、なるべく早くアブキール湾に到達して戦隊主力と合流することが求められた。

 初めは前部5隻、後部7隻であっても、アレクサンダーとスウィフトシャーの2隻が合流して前部7隻、後部7隻、もしくは前部6隻、後部8隻にしたかったのではないかと考えられる。

※ネルソンが事前に計画していた部分については旗艦「ヴァンガード」のベリー艦長の書簡に書かれているが、ネルソンが計画の再構築を行い、戦隊を左翼、右翼など3つに分割したというのは本ブログ著者の推測である。
ネルソンが計画の再構築を行ったというのには一定の根拠がある。まず、イギリス側の資料にしてもフランス側の資料にしても発見された時点で「カローデン」が先頭となっている。しかしベリー艦長の書簡には「カローデン」が座礁した時アレクサンダー、テセウス、リアンダーの3隻がカローデンを目印として回避行動を取ったことが書かれている。
もしカローデンが先頭にいて単縦陣で行動していたならばすべての艦がカローデンを目印として回避行動を取るはずである。
そのため、アブキール湾に入る前までは「カローデン」を先頭とした単縦陣で移動し、アブキール湾沖に到着した後に部隊を再編成したのだろうと推測した。
そして計画を再構築したと考えるもう1つの根拠はアブキール湾に移動するまでは「カローデン」が先頭だが、突入時は「ゴリアテとジーラスが戦隊を先導し、フランスの戦列艦や砲艦、アブキール島など陸地の砲台から最初の砲撃を受ける名誉を与えられた。」とベリー艦長の書簡に書かれていることである。このことから計画は再構築され、先頭が入れ替わったと考えることができる。
次に、ネルソンが戦隊を再編成し3つに部隊を分割したことについてだが、ネルソンは事前の計画で敵戦闘艦に相対するために2つの部隊を用意していることから、実際の突入時も敵戦闘艦と相対するための2つの部隊を形成しているはずであり、ベリー艦長の書簡にある「カローデン」が座礁した時アレクサンダー、テセウス、リアンダーの3隻がカローデンを目印として回避行動を取ったというところから、方向は同じだが右翼と左翼に分けて違う航路で突入したと推測した。
この推測に則るとアレクサンダーとスウィフトシャーもそれぞれ別の航路でアブキール湾の戦場に突入したということになる。
アレクサンダーはアブキール島を迂回する航路、スウィフトシャーはアブキール島から離れていく航路でアブキール湾に突入したのだろう。

参考文献References

・Correspondance de Napoléon Ier: publiée par ordre de l'empereur Napoléon III,第4巻

・Napoleon Ⅰ著「Guerre d'Orient: Campagnes de Égypte et de Syrie, 1798-1799. Mémoires pour servir à l'histoire de Napoléon, dictés par lui-même à Sainte-Hélène, et publiés par le général Bertrand, 第1巻」(1847)

・Nicholas Harris Nicolas著「The Dispatches and Letters of Vice Admiral Lord Viscount Nelson , 第3巻」

「Histoire des Combats D'Aboukir, De Rrafalgar, De Lissa, Du Cap Finistere, et de plusieurs autres batailles navales, Depuis 1798 Jusqu'en 1813」(1829)

・John Marshall著「Royal Naval Biography,Vol 1. Part 2.」(1823)