エジプト戦役 14:ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)<序盤> 
Battle of the Nile, Early stages

1798年8月1日、「ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)」

※1798年8月1日、「ナイルの海戦(アブキール湾の海戦)」。ニコラス・ポーコック(Nicholas Pocock)画。1808年

ナイルの海戦の始まり

 1798年8月1日午後5時半頃、ネルソン戦隊は隊列を形成し、10分後、右翼を先頭に風上に向かって航行を開始した。

 カローデンは出発前に本隊との合流に間に合った。

ネルソン戦隊の陣容

◎ネルソン戦隊右翼

1、ゴリアテ(Goliath):アロガント級3等戦列艦, 大砲74門, トーマス・フォーリー(Thomas Foley)艦長

2、ジーラス(Zealous):アロガント級3等戦列艦, 大砲74門, サミュエル・フッド(Samuel Hood)艦長

3、オリオン(Orion):カナダ級3等戦列艦, 大砲74門, ジェームズ・ソーマレス(James Saumarez)艦長

4、オーディシャス(Audacious):アロガント級3等戦列艦, 大砲74門, ダヴィッジ・グールド(Davidge Gould)艦長

5、カローデン(Culloden):ガンジス級3等戦列艦, 大砲74門, トーマス・トロウブリッジ(Thomas Troubridge)艦長

6、テセウス(Theseus):カローデン級3等戦列艦, 大砲74門, ラルフ・ウィレット・ミラー(Ralph Willett Miller)艦長

7、リアンダー(Leander):ポートランド級4等戦列艦, 大砲50門, トーマス・ボールデン・トンプソン(Thomas Boulden Thompson)艦長


◎ネルソン戦隊左翼

8、旗艦ヴァンガード(Vangard):アロガント級3等戦列艦, 大砲74門, ホレーショ・ネルソン少将が乗船, エドワード・ベリー(Edward Berry)艦長

9、ミノタウロス(Minotaur):クラージュ級3等戦列艦, 大砲74門, トーマス・ルイ(Thomas Louis)艦長

10、ディフェンス(Defence):ベローナ級3等戦列艦, 大砲74門, ジョン・ペイトン(John Peyton)艦長

11、ベレロフォン(Bellerophon):アロガント級3等戦列艦, 大砲74門, ヘンリー・デストレ・ダービー(Henry D'Esterre Darby)艦長

12、マジェスティック(Majestic):カナダ級3等戦列艦, 大砲74門, ジョージ・ブラグドン・ウェストコット(George Blagdon Westcott)艦長


◎集結中の艦艇

13、アレクサンダー(Alexander):アルフレッド級3等戦列艦, 大砲74門, アレクサンダー・ボール(Alexander Ball)艦長

14、スウィフトシャー(Swiftsure): エリザベス級3等戦列艦, 大砲74門, ベンジャミン・ハロウェル・カリュー(Benjamin Hallowell Carew)艦長

◎その他

15、ミューティン(Mutine):ブリッグ船, 大砲12門, トーマス・アスターマン・ハーディ(Thomas Masterman Hardy)艦長


◎ネルソン戦隊とフランス艦隊の戦力

ネルソン戦隊の戦力 フランス艦隊の戦力

※John Ross,他著「Memoirs and Correspondence of Admiral Lord De Saumarez: Volume 2」より抜粋

 ネルソン戦隊右翼の先頭がアブキール島に近づくとすぐに警戒していたフランスのブリッグ船ライユールがブリュイ提督の命令を実行し始めた。

 イギリス艦隊は砲撃の射程内ぎりぎりのところまで進んだ時、ライユールはイギリス艦隊をアブキール島沖から北東に伸びる浅瀬に引き寄せようとした。

 しかし、先頭のゴリアテとジーラスはブリッグ船を全く気にせず任務を遂行し、ライユールが立ち去るのを許した。

 これを見たフランクリンの艦長は後に、「イギリスの提督は間違いなく経験豊富な乗組員を乗せていた。」と語ったと言われている。

カローデンの座礁

ナイルの海戦において座礁したカローデンを救出しようとしている場面。

※「ナイルの海戦」。ウィリアム・アンダーソン(William Anderson)画。座礁したカローデンを救出しようとしている場面。

 午後6時過ぎ、ネルソン戦隊はメインアンカーを8ファゾム(約14.4m)まで引き上げて針路を変更し、広い円を描くように機動してフランス艦隊左翼の艦艇を攻撃する方向に向かった。

 そしてゴリアテ、ジーラス、オリオン、オーディシャスは水深を測りながら前進してアブキール島の内側への侵入に成功した。

 後続のカローデンも他の艦と同様に水深を測りながら前進していたが、11ファゾム(約20 m)の水深を計測した後、突然アブキール島の先端から3㎞ほど伸びている浅瀬に乗り上げて座礁してしまった。

 カローデンの後ろを航行していたテセウスとリアンダーはカローデンを灯台として座礁を回避し、リアンダーはカローデンの救出のために立ち止まった。

 カローデンの座礁を見たネルソンはミューティンにカローデンの支援をするよう命じた。

 これが理由でリアンダーは戦闘に加わるのが遅れることとなった。

 ネルソンは10隻で戦列艦13隻とフリゲート艦4隻を有するフランス艦隊と戦うことを余儀なくされることとなった。

※James Stanier Clarke and John M'Arthur著「The Life of Admiral Lord Nelson from His Manuscripts: Volume 2」(1809)には、「カローデンがネルソンの攻撃開始の合図に間に合わず、遅れて戦場に向かった。」かのような雰囲気の記述があるが、旗艦ヴァンガードのベリー艦長の書簡には「アレクサンダー、テセウス、リアンダーはカローデンを灯台として座礁を回避した。」との記述がある。ベリー艦長の書簡はナイルの海戦のすぐ後に書かれているため、ベリー艦長の記述を優先している。

フォーリー艦長の決断

ナイルの海戦:1798年8月1日午前6時半頃、ネルソン戦隊を先導するフォーリー艦長の決断

※1798年8月1日午前6時半頃、ゴリアテを指揮するフォーリー艦長の決断

 アブキール島の2つの砲台の目の前をイギリス艦隊が通り過ぎようとしているのを見たフランス軍は陸上からの砲撃を開始した。

 しかし距離が離れすぎており、イギリス艦艇に損害を与えることができなかった。

 ネルソン戦隊は弧を描いて前進し、フランス戦列艦はイギリス艦が射程に入るにつれて次々とイギリス艦隊の先頭への砲撃を開始した。

 フランス戦列からの砲撃は2番艦コンケラから始まり、その後、ゲリエ、スパルシアーテ、アキロン、ぺープル・スーヴェラン、フランクリンが続いた。

 イギリス艦隊の静かな前進は、フランス側に驚きをもって観察された。

 イギリスの艦艇は射程の半分の位置に接近するまで砲撃を行わないよう命じられており、フランス艦隊が半射程内に入るとゴリアテの大砲が火を噴いた。

 6時28分、フランス艦隊は戦いの時に陣営を見分けるために三色旗を掲げた。

 ネルソン戦隊の先頭であるゴリアテを指揮するフォーリー艦長はフランス艦隊の背後に侵入できるかどうかを注意深く観察していた。

 もし背後に侵入する決断をし、その決断が間違っていた場合、ネルソンの計画がすべて崩れ、劣勢な立場に立たされてしまう可能性があった。

 しかしフォーリー艦長はゲリエが波によって大きく揺れたのを見てフランス艦隊の背後に侵入することを決断した。

 この決断は、安全を優先して背後に侵入しないという保身的な選択肢もあるため、並みの勇気では到底成しえない決断だった。

ネルソン戦隊右翼による背後の獲得

ナイルの海戦図

※ナイルの海戦図:James Stanier Clarke、 John M'Arthur著「The Life of Admiral Lord Nelson from His Manuscripts: Volume 2, (1809)」より抜粋。フランス艦隊右翼の並び順について「戦列艦オリオンのソーマレス艦長の回想録」と異なる部分がある。

 フォーリー艦長の勇断によりゴリアテはアブキール湾の陸とフランス艦隊の間に入り込むことに成功した。

 そしてゲリエの船首側に錨を降ろして停泊するために水深が許す限り岸の端に近づけた。

※水深が許す限り艦を岸の端に近づけるという行為は、恐らく戦列艦が通過できる範囲を示す目的もあったと考えらえる。

 しかし錨が少し垂れてしまい、激しい砲撃を行なったため、錨が外れる前に2番艦コンケラの方向に風と波で流されてしまった。

 ゴリアテは漂流に耐えるために帆を短くし、2番艦コンケラの船尾に停泊し、10分以内にマストを撃ち落とした。

 ゴリアテの後に続いたジーラスは、何が起こったのかを観察しながらゴリアテが錨を降ろす予定だったゲリエの船首側に錨を降ろすことに成功し、12分でゲリエを完全に無力化した。

 オリオンはジーラスの風下に進み、ゲリエに向かって船尾の砲で砲撃し続けた。

 そしてゴリアテを追い越し、フリゲート艦シリウーズから妨害を受けたがこれを蹴散らし、4番艦アキロンへ砲撃を行いつつ5番艦ぺープル・スーヴェランと6番艦フランクリンの間に錨を下し、フランクリンの左舷船首とぺープル・スーヴェランの四分の一のところに陣取った。

 オリオンはすぐにフランクリンとペープル・スーヴェランとの砲撃の応酬を開始した。

 太陽が地平線に近づきつつあったとき、オーディシャスはゲリエとコンケラの間を通り抜けた。

 通り抜ける際、激しい砲撃を行い、その後、コンケラの左舷船首側に錨を降ろした。

 テセウスは粉々になった船の破片などを避けるために十分な距離を取りながらかろうじてジーラスとゲリエの間を進み、その途中、ゲリエの船首に左舷側からの激しい砲撃を浴びせ、ゲリエの残っていたメインマストとミズンマストを降ろした。

 その後、テセウスはゴリアテの外側を通過し、オリオンが停泊ポイントに到着したのとほぼ同時に、ゴリアテの前にいる3番艦スパルシアーテの左舷船尾側に停泊した。

 ジーラスを除くネルソン戦隊右翼の各艦艇はフランス艦隊左翼の艦艇の船尾に錨を降ろしたため動きが容易になり、艦を最も有利な位置に配置することができた。

ヴァンガードの戦闘開始

 ネルソンはフォーリー艦長がどのような決断をするか見定めていた。

 そしてゴリアテがフランス艦隊の背後に侵入したことを確認すると、フランス艦隊左翼と中央を前後で挟撃するために3番艦スパルシアーテの方向へ針路を定めた。

 ネルソンは「まず勝利を勝ち取り、それから勝利を最大限に活用せよ!」と叫んだ。

 ヴァンガードが先導する左翼も初めはそれぞれの目標に到達するまで、フランス戦列の右舷側(船体の右側面)からの砲撃を船首で受けることを余儀なくされていた。

 この時点では必要な数の隊員が帆を巻き上げるために上空で作業を行い、甲板では支持具を運んで錨を投げ入れる準備をしていた。

 そしてネルソンはホワイト・エンサインもしくはセント・ジョージ・エンサイン(戦いの時に陣営を見分けるためのイギリスの軍艦旗)をフランス艦隊からの砲撃によって打ち落とされても陣営を見分けられるように各艦の6ヵ所に掲げるよう合図した。

 午後6時31分、フランス艦隊の砲撃に耐えて射程の半分の距離にまで接近し、錨を海に投げ入れたヴァンガードの艦砲が遂に火を噴いた。

 水深8ファゾム(約10.4 m)のところに停泊できたヴァンガードはスパルシアーテと射程の半分の距離以内で対峙しつつ、後続部隊の接近を援護した。

 ヴァンガードがスパルシアーテの右舷側で対峙した時、フランス艦隊の先頭から流れ着いたゴリアテがスパルシアーテの左舷側で停止した。

 そのためスパルシアーテは前後を挟撃され、圧倒的不利な戦闘を余儀なくされた。

ブリュイ提督の誤算

 ブリュイ提督は自軍の後方は侵入不可能であり、左翼はアブキール島の砲台によって守られているため、イギリス艦隊は右翼と中央を攻撃するだろうと予想していた。

 その対策としてフランス艦隊の中央にはフランクリン、オリエント、トゥノン、右翼にはギョーム・テルなど重量級の艦艇を配置していた。

 尚且つ各艦艇の乗組員が不足していたためブリュイ提督は浅瀬で守られているはずの左舷側の人員を薄くして右舷側に多くの人員を配置していた。

 そのため戦闘開始当初、左舷側の抵抗は少なかった。

 ブリュイ提督は完全に不意を衝かれた形となったのである。

※セントヘレナのナポレオンが1番艦ゲリエと2番艦コンケラが砲撃を行わなかったとまるで戦犯であるかのように主張しているが、これら2つの艦は右舷側ではしっかりと砲撃を行っており、左舷側に回り込まれた時、不足している乗組員を右舷側に集中させていたため抵抗できなかったというだけである。
そして乗組員不足の一因はナポレオン自身にある。

ネルソン戦隊左翼の戦闘開始

 ヴァンガードの戦闘開始後、ネルソン戦隊左翼はヴァンガードの後ろから次々と現れ、ミノタウロスは4番艦アキロンへの砲撃を開始し、ディフェンスは5番艦ペープル・スーヴェランの右舷側に錨を降ろし、ペープル・スーヴェランと右舷船首側にいる6番艦フランクリンとの交戦を開始した。

 午後7時、ディフェンスの後ろから現れたベレロフォンが錨を降ろした。

 ベレロフォンは6番艦フランクリンの右舷側に停止する予定だった。

 しかし風と波に流され、120門の砲を搭載した3階建てのオーシャン級1等戦列艦「オリエント」の右舷側で停止し、強大な敵との戦いを余儀なくされた。

 しばらくしてベレロフォンの後続であるマジェスティックが現れた。

 マジェスティックは8番艦トゥノンの右舷側に錨を降ろし、交戦を開始した。

 停泊する際、シュラウドが絡まって操縦能力を失った。

 マジェスティックには、自軍がフランス艦隊左翼及び中央と戦っている時にフランス艦隊右翼を牽制し戦闘への参加を遅らせるという役割もあっただろうと考えられる。

参考文献References

・Correspondance de Napoléon Ier: publiée par ordre de l'empereur Napoléon III,第4巻

・Napoleon Ⅰ著「Guerre d'Orient: Campagnes de Égypte et de Syrie, 1798-1799. Mémoires pour servir à l'histoire de Napoléon, dictés par lui-même à Sainte-Hélène, et publiés par le général Bertrand, 第1巻」(1847)

・Nicholas Harris Nicolas著「The Dispatches and Letters of Vice Admiral Lord Viscount Nelson , 第3巻」

・James Stanier Clarke and John M'Arthur著「The Life of Admiral Lord Nelson from His Manuscripts: Volume 2」(1809)

・Cooper Willyams著「A Voyage Up the Mediterranean in His Majesty's Ship the Swiftsure」(1802)

・「Histoire des Combats D'Aboukir, De Rrafalgar, De Lissa, Du Cap Finistere, et de plusieurs autres batailles navales, Depuis 1798 Jusqu'en 1813」(1829)

・John Marshall著「Royal Naval Biography,Vol 1. Part 2.」(1823)

・Edward Pelham Brenton 著「The Naval History of Great Britain: From the Year MDCCLXXXIII to MDCCCXXII,Vol II.」(1823)

・John Ross,他著「Memoirs and Correspondence of Admiral Lord De Saumarez: Volume 2」