シリア戦役 03:ジョセフィーヌの浮気の発覚とナポレオンの報復
Josephine's infidelity is discovered and Napoleon takes revenge

ナポレオンの女性の好み

 ナポレオンがエジプトの征服で忙しくしている頃、パリに残った妻ジョセフィーヌはイッポリト・シャルルとの浮気を楽しんでいた。

 しかし、その浮気が遂にナポレオンの耳に入ることとなった。

 ナポレオンは激怒し、ジョセフィーヌに手紙を送った。

 そしてナポレオンはアブキール湾での敗戦によりエジプトから出ることができなかったため、その報復として自分も浮気をすることを思い立った。

 ナポレオンはカイロの女性に興味を持ち、ナポレオンの前に6人の女性たちが連れてこられた。

 しかし、肉感的でふくよかな女性たちを見たナポレオンは嫌悪感を抱き、追い返した。

 どうやらナポレオンの好みに合わないようだった。

ポーリーヌ・フーレスとの出会い

ポーリーヌ・フーレスの肖像画

※ポーリーヌ・フーレスの肖像画。

 1798年11月30日、ナポレオンは、有名なパリのティボリを模して造られた庭園であるティボリ・エジプシャンで、将校と淑女たちとともにいるポーリーヌ・フーレス(Pauline Fourès)と初めて会った。

 ポーリーヌのブロンドの髪、ほっそりとした小柄な体型、そして笑顔の時に見える完璧な歯は、すぐにナポレオンの目に留まった。

 自己紹介とぎこちない会話の後、ナポレオンは周囲に注目されていることを意識すると会話を終わらせて立ち去った。

 ナポレオンはポーリーヌを自分のものにしようと決心したと言われている。

邪魔者の排除

 ジュノーやデュロックに自分に代わって高価な贈り物を送って口説かせた。

 しかしポーリーヌは夫であるジャン・ノエル・フーレス中尉がカイロにいることを理由に誘いを断った。

 そのためナポレオンはベルティエに、パリの総裁政府への次の伝令としてフーレス中尉を行かせるよう指示した。

 1798年12月17日、ベルティエはフーレス中尉を呼び出し、命令を伝えた。

 フーレス中尉は妻ポーリーヌとともに行くため、妻に荷造りの時間を与えて欲しいと頼んだ。

 ベルティエはフーレス中尉に、すぐに出発しなければならないこと、エジプトでは妻の従軍を認めていないため、1人でパリに行かなければならないことを伝えた。

 フーレス中尉は妻に別れを告げると、すぐにアレクサンドリアに向かった。

ナポレオン初めての浮気

 その日の夜、ナポレオンはポーリーヌを、さまざまな将校や婦人とともに、自分の宿舎での晩餐会に招待した。

 ポーリーヌは彼の右手に座り、ナポレオンは彼女から目を離すことができなかった。

 晩餐会での食事中、水差しの水がポーリーヌにこぼれ、ドレスがびしょ濡れになるというアクシデントが起こった。

 ナポレオンはすぐに手助けして自分の部屋を提供することを提案し、灯りを持ってきて寝室へと案内した。

 2人はほぼ1時間、晩餐会から姿を消していたが、他の招待客等はナポレオンとポーリーヌが居ないことを不思議に思いつつも驚くことは無かったと言われている。

エジプトの現地妻

 翌18日、ポーリーヌは今まで住んでいた宿舎を離れ、ナポレオンの住まいに近いエズベキエ広場の別邸に引っ越した。

 ポーリーヌはナポレオンの側を離れず、ナポレオンのいるところはどこでも付き従った。

 将軍の制服を着て、三色帯を夫人用帽子のように身に着け、カイロ中を馬に乗って走り回った。

 彼女はナポレオンの側近たちをもてなしたり、晩餐会や歓迎会などを企画したりして過ごし、総司令官の女主人としてその役割を精力的に果たした。

 ポーリーヌはナポレオンからの手紙の中で「クリオパトレ(Clioupatre)」または「ラ・ジェネラル(La Generale)」と呼ばれていたと言われている。

参考資料

・Frédéric Masson著「Napoleon et les femmes」(1894)